三田グループが本格的に森林事業を始めたのは、明治43年9月の盛岡大洪水の後からです。
この洪水は数日にわたる豪雨によって中津川が氾濫したため、盛岡市内の橋梁流出、護岸決壊、家屋倒壊などの大惨事となり言語を絶するものでありました。 この時、創業者三田義正は水源地帯に植林して治山治水を図ることが重要であり、かつ緊急を要することを痛感し、雨水の突出を防ぐため米内川、中津川の流域に沿って荒廃地を買い求め、自ら山小屋に泊まり込み陣頭指揮を執って造植林を実施しました。 現在、この流域の水は盛岡市民の水瓶として水道に利用され、また盛岡市内を流れる中津川の清流は市民の憩いの場となっっております。 三田グループ社有林は環境を考えながら自然林と施業林(2,000ha)の調和を保ち次世代に継承するため最大限の努力を続けています。