三田商店120年の歩み

  

八戸市田面木に八戸出張所新社屋竣工
石油製品の流通コスト低減を図るための施策が求められる時代となって、タンカー船の大型化と油槽所の近代化が進んできた。三菱石油では元売他社と共同出資の東西オイルターミナル株式会社を昭和45年3月設立、油槽所の大型化並びに共同使用が始まった。
八戸鮫港は大型タンカー船の接岸が不可能であることから、油槽所としての機能を失う結果となり、昭和52年9月を持って貯蔵タンク4基を撤去して燃料油の寄託業務を廃止した。この結果、八戸油槽所は潤滑油専用となった。
その後さらに、三菱石油の流通合理化の一つとして油槽所および基地の統廃合が進み、昭和62年9月を持って八戸潤滑油寄託業務を廃止した。
これより先、直営給油所を分離する決議に従い、昭和60年5月をもって三盛石油株式会社に鮫および八戸西の両給油所を委譲した。
鮫地区の将来を展望し、地域にマッチした活用を図るべき時期が到来している。そこで、八戸出張所の移転を計画、八戸市田面木前田表の西給油所敷地内に鉄骨ALC造二階建の社屋を新築して移転したのが、平成2年6月である。


現在の八戸店舗 平成2年6月竣工
[平成16年5月撮影

初代会長に三田義三、四代社長に三田義之がそれぞれ就任
平成3年7月10日開催の定期株主総会で定款変更の議決を得て、初代会長に三代社長三田義三、後継の四代社長に三田義之がそれぞれ就任した。
四代社長三田義之は故三田義清(二代社長)の長男で、昭和37年8月生れ、慶応義塾大学を卒業して入社、平成元年7月取締役に選任されている。
同年は東北新幹線盛岡以北の早期着工が強く望まれていたところ、漸く9月に本格着工となった。青森までフル・ミニ規格併用の新幹線でトンネル掘削から始まり、後になって全線フル規格に格上げとなった。この工事に火薬類、セメント、生コン、土木資材など大きな需要が見込まれ、三田商店は新体制のもと的確に対応し好結果をえている。
続いて秋田ミニ新幹線が平成4年3月着工となった。
大阪市淀川区西宮原に大阪支店新社屋竣工
平成元年7月、関西電力のたっての要請に応え、大阪支店店舗所在地の譲渡契約を結ぶ。
大阪市北区中之島3丁目周辺は、関西電力のビル増設計画が着々進行していることから、三田商店に対し代替地の提案とともに地域開発の理解と協力を求めてきていたものであった。この結果、大阪市淀川区西宮原の土地に、テナント用のミタビル建設に向かって動き出し、平成3年7月にSRC造7階建のオフィスビルが竣工する。同時に、三田商店大阪支店が最上階に移転入居した。テナントビルに入居した初めてのケースであり、先々の一つの方向を示すものと注目される。新幹線新大阪駅に近く、この新事務所を起点として営業の拡大に向かうところとなった。


現在の大阪店舗 大阪ミタビル 平成3年7月竣工

八戸出張所と仙台出張所がそれぞれ支店に昇格
平成6年5月1日をもって八戸出張所と仙台出張所がそれぞれ支店に昇格した。
かねてからの念願が叶い決議されたもので、今後尚一層の発展が強く望まれるところとなった。
創業100周年記念事業を開催
出口の見えない不況が続くなか、政権が目まぐるしく変わるという政治経済混迷の平成6年であったが、三田商店にとって歴史に大きく記された意義深い年となった。それは、創業者三田義正の手によって、明治27年盛岡で火薬販売の業を興して以来、本年をもって創業100周年を迎えたことである。創業者はじめ多くの先人諸氏のご労苦並びに関係各位の変わりないご支援を戴き、ここに100年を積み重ねてきたものであり、誠にご同慶のいたりである。
この100周年を記念するにあたり、検討を重ねまとめたのは、100年を将来に向かっての一節ととらえ創業者の教えを基とすることであった。その結果、森林の育成に努めた歴代社主の志を体し盛岡市の都市緑化資金に10,000万円の寄贈を決め、平成6年11月22日盛岡市長に三田義之社長から贈呈した。盛岡市では、岩手公園の岩手女子高等学校寮跡地の緑化整備計画に運用したいとのこと、市長から三田義三会長・義之社長に対し感謝状が贈られた。
次いで、創業100年の業歴を「年表」にまとめ、ご支援ご協力戴いた多くの方々に御礼の挨拶状を添えて、会長・社長が12月5日盛岡本店を皮切りに支店所在地を歴訪した。また、各店毎に会長・社長を囲み祝盃をあげて記念行事のすべてを終えることができた。
創業者の遺された訓辞を尊び、その主意を経営の根幹に据え、全員が一致協力して社業の発展に努める決意を新たにしたものである。

株式会社三田商店創業百周お礼の挨拶状
創業百周記念ご挨拶
農林業の育成を唱導する三田義正が岩手県会議員などの公職を辞し、
明治二十七年火薬販売の業を興してから本年をもって創業百周年を迎えました。
また、昭和四年三田火薬銃砲店を法人組織に改め株式会社三田商店を創立、
農林牧場不動産部門を三田合資会社に委譲してから六十五年を累ねて参りました。
顧みますと、
幾多の災禍に遭遇し障壁に直面すること少なからず
火薬類による爆発事故、日露戦争時の津軽海峡での運搬船撃沈、
関東大震災を始めとする大災害、昭和金融恐慌、戦中戦後の社会経済の混乱等
枚挙にいとまなく多くの苦難に対し、
不断の努力を払い堅忍着実にこれらの克服に務め今日の礎を築いて参りました。
これ偏に、多くの方々から永年にわたり賜りました
ご厚情ご支援によるものであり、誠に有難く厚く御礼申し上げます。
この百年を将来に向けての一つの節目ととらえ、
信義を守り、誠実を尊ぶ創業者の遺訓を十分に体し
更に切磋琢磨を重ね社業の発展に努力する決意を新たにしたところであります。
なにとぞ、一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
このたびの創業百周年を記念して
森林の扶植に務めた歴代社主の志に沿い、
弊社発祥の地盛岡市の環境緑化事業に甚だ些少でありますが、
寄贈させて項き記念行事の全てを相済ませました。
茲に、失礼乍ら年表をもってご報告申し上げ、
御礼を兼ねご挨拶と致します。
  平成六年十二月
      株式会社 三 田 商 店
         取締役会長 三 田 義 三
         取締役社長 三 田 義 之
スコッチプリント・グラフィックス事業を開始
厳しい経済環境下において、既存取扱商品への取り組みを強化する一方で、経済状況に見合った新規ビジネスとして、平成15年4月から大型グラフィックによる屋内外の広告・装飾サービス「スコッチプリント・イメージグラフィックス」事業を開始する。
スコッチプリント・イメージグラフィックスとは、米国スリーエム社で開発された汎用グラフィックス製品で、接着剤の付いたマーキングフィルムや合成紙、ターポリンや不織布など数十種類の加工品群を有しており、耐久性に優れていながら剥がした跡が残らない、貼付け下地を選ばないなどという、独自の特徴を持っている。製品の中にはメーカー保証品(最長5年)や耐火認定品(唯一スリーエムのみ)などもラインナップされており、パソコンと大型静電プロッター(プリンタ)及びラミネート機等を使用し、最大1320mm巾の出力に対応する。